縦横無尽0408高知

いくら旅日記で元気だと言われても、参戦された方々のレポに並ぶ最高の文字を眺めても、それでも拭い切れない不安はつきまとっていた。

元気になったの?本当に元気?もう大丈夫?本当はしんどいんじゃないの?無理してない?大丈夫?もう元気なったの?ねぇ大丈夫?治ったの?心配だよ。でもそもそも相手はプロだし、わたしなんかが心配するに及ばないどころか心配するなんて失礼にあたる訳で。何より本人がもう元気や言うてんねん信じろや自分。そうよあなたのやりたいことを全部あなたのやりたいように、それがわたしのしあわせだから。みたいな毎日を過ごしながら、若干の情緒不安定と共に迎えた宮本浩次日本全国縦横無尽高知。

 

最高だった。

 

宮本さんの体調不良の発表があってから昨日まで、わたしは人生できっと2番目に情緒崩壊の日々の中にいた。適応障害になって過呼吸と涙がとまらなくなって毎日吐いて、大好きだった仕事に行けなくなって不安がなくなるとかいう薬を処方されて、退職の手続きのために職場までの旧居留地の道を涙ぼろぼろこぼしながら歩いたあの頃を彷彿とさせるような不安定ぶりだった。

気を張ってないとふと緩んだ瞬間に涙が溢れて、いつの間に宮本さんのことがこんなに大切で大切で大切になってたんだと自分でも信じられなかった。大好きな高橋一生さんの供給さえも見られなくなったときにはさすがにちょっとヤバいんじゃね? てなって、でもだからと言って解決策を持ち合わせている訳もなく。ツアーが再開され公演延期の日程も発表され持ち直すも、元気になったというお知らせを信じたい自分と不安を拭えない自分の板挟みになって自滅しそうで、とりあえず壊れないように騙し騙し日を繰るのみだった。

 

それでも岡山以来の遠征に気持ちは高揚し、緑の混ざる桜に背中を押されるように白いシャツワンピを新調したり、いつもよりも丁寧にのせるマスカラやリップにときめいたりした。可愛いぜわたし(当社比)。いつものとおりとんでもない緊張で吐きそうになりながら列に並び、トイレを済ませ席に着き、双眼鏡のピントを合わせようとするも震える手では上手くいかず、とりあえずスマホ見て「あ、旅日記あげてくれてるやったぁ。でもちょっと今見られないわ余裕ないわ吐きそうだしとりあえずあとでね」「おぉ高橋さんも盛り上がってるね」などと心此処に在らずでTwitterを流し、これまでもわたしの爆発する感情を受け止めてきてくれたお気に入りのタオル地のハンカチを握りしめ、祈るような気持ちで18時30分を待った。いや、実際祈っていた。何を祈ってたのかもわからないけれど。

 

そしてついに始まった高知。たぶん肩も震えてたかも。号泣してしまった。宮本さん、あぁ宮本さん宮本さん。心配したよ、よかったね、よかったねよかったねもう大丈夫なんだよねそう言ってたもんね信じてたけど信じられなくてごめんね、元気になったのね、もう元気なのねよかったね本当によかったね心配だったんだよわたしなんかが心配(以下略)

知らないアレンジにわたしのドーパミンの蛇口は壊れ、どんどん艶を帯びてゆくステージに恍惚とした。大好きな声に抱かれてずっと彼岸だった。弾けるように歌を届けてくれる宮本さんをはじめ、壮々たる男前五人衆がみんな楽しそうで、みんな演奏しながら宮本さんを見てて、ときどき笑ったり、眉を寄せてすっごいカッコいい顔ですっごいカッコいいフレーズぶっ込んできたり、宮本さんもみんなを信頼して委ねてでも引っ張ってて、あぁアンサンブルだなぁって、五人で宮本浩次縦横無尽バンドなんだなぁって思ってまた号泣した。

 

宮本さん元気になってた。みんなが言ってたの本当だった。もう新型コロナ風邪なおってた。元気だった。最高だった。いつだって最高よ。人生なんてわからない。この瞬間突然終わりが来るかも知れないし、当たり前なんて何ひとつない。解っていても人は愚かで、失くしてしまう不安に向き合いながら生きる強さを持ち合わせない。当たり前の上に胡座をかいて、あわせた手のひらとその指の隙間から、ざらざらと大切な日常をこぼし続けながら生きている。人は死ぬ。宮本さんだってわたしだって。鋭利な純粋と刹那の美しさに包まれた、神様に愛され過ぎたロック歌手と、こうして時を同じく生きられる奇跡を抱きしめずにはいられない。あなたに辿り着けた自分も、わたしに辿り着いてくれたあなたも、わたしの宝箱を彩る大切な宝物だ。そんなわたしを包んでくれる儚くもやさしいこの世界をわたしは今日も愛してる。

 

だいすきだよ。元気になってくれてありがとう。ずっとずっと元気でいてね。ほんでまたわたしのこと30回くらい見て指差してね。もしもわたしが生まれ変わって鰹のタタキになっても美味しいって言って食べてね(狂気)

ツアーも残りあとすこし。どうか最後まで。思いのままに駆け抜けられますように。

しあわせすぎてのぼせそうだった

もしもわたしに魔法が使えたなら、あの日のぜんぶを閉じ込める宝箱をつくろう。淡く薄れゆく記憶に抗うのも人間らしくて嫌いじゃないけど、一冊くらい「匣には彼女のすべてがみっしりと詰まってゐた―――」みたいな書き出しの私小説があってもいい。

空気も、温度も、匂いも、張り詰めた静寂も、爆発する熱量も制御不能になった感情も。眩しかった照明もステージの黒も濡れたマスクの冷たさも、音の洪水も『滅びし日本の姿よ さよならさ』て歌いながらわたしを射抜いたあの視線も。あの日のすべてを一瞬も一粒もこぼさないよう宝箱に閉じ込めて、鍵を掛けて、筆で『宝物』て書いたラベルを貼ったら。そっとキスして抱きしめよう。

 

思い出すことすら勿体なくて躊躇われる、わたしとエレファントカシマシ新春ライブ2022の思い出。こないだの続き。もう泣きそう。

(こないだのはこちら)

https://nandem0naihit0t0ki.hatenablog.com/entry/2022/01/14/021024

 

楽しみ、というにはあまりにも緊張が勝ち過ぎていた。吐きそうになりながら九段下の改札を抜け、ちゃんと息をしていないと過呼吸になってぶっ倒れそうだった。狭くなる視界、低下する血圧、乾く喉、襲い来る目眩、震える手。辞書を編纂する偉い人よ、【緊張】の項には是非あのときのわたしを載せてくれ。もうすぐここも人の呼吸でいっぱいになる、ていう高橋一生さんの言葉を思い出しながら気を紛らわせたりして、逃げ出したい気持ちと必死に戦う。会いたくて会いたくて会いたくて、会えるならと魂を売り払う準備も整え、懐刀を忍ばせ介錯頼まれたしとようやく辿り着いた武道館なのに。始まる前から怖くて怖くて半ベソだった。スタッフさんの着てるグッズのTシャツの真っ黒じゃない黒をぼんやり眺めながら、これも買おっかななんて考えていた。

 

興奮状態の記憶は残りにくいのだそうだ。

おぼろげな思い出の輪郭をなぞるのはとても愛おしく、そのたびにわたしは足元から溶けてゆく。何度も溶けてまた固まって、わたしはもうすっかり変わってしまった。人生はいつだって不可逆なんだよ。もっと早く出会いたかったと何度願っても彼らの歴史を辿ることしか出来ないように、もうエレカシに出会う前のわたしには戻れない。幸福な不可逆。

共に時を重ねてきた人達への羨望は拭い切れないけれど、それでもやっと巡り会えたこの奇跡を抱きしめながら生きていきたい。遅くなってごめん。ずいぶん遠回りしてしまった。わたしが辿り着くのを待っててくれて、今このタイミングを選んでわたしのところへ歌を届けてくれて、こんな素晴らしい時間を用意してくれて、ずっとエレファントカシマシでいてくれて、本当にありがとう。そんな想いがない交ぜになって、ステージに現れたその姿に涙が溢れた。始まりがうつらうつらだったのも号泣に輪をかけた。小鳥の声を歌う今わたしの目の前に確かにいる彼らに、何度も写真に見た幼いあどけなさと鋭利な純粋が同居する刹那の美しさを重ね合わせて、崩れそうになる膝に必死で力を込めた。一瞬も逃したくなくて、泣きながらも目を逸らさずに見つめ続けた。向き合いたいと願ったエレカシがそこにいた。涙で滲む視界は見たことのないしあわせの色をしていて、この世の彼岸だった。

エレファントカシマシ宮本浩次が支配する空間にいられるだけでたまんなかった。あぁわたしの貧しい語彙力よ。いろんな人達が言ってたみたいに宮本さんは王様だった。王様も、王様に食らいつくバンドも、全員が全員みんなカッコよすぎだった。おいオレ夢見てんじゃねぇかって何度も思った。カッコよすぎる生身のエレカシを目の前に、やっと平伏すことを許された気がして膝も腰も砕けそうだった。大好きな昔の侍の、大好きな『ああ さよならさ 滅びし日本の姿よ さよならさ』のことで宮本さんがこっちを向いてくれて、目が合って、号泣するわたしを笑ったように見えた時にはさすがに崩れ落ちたけれど。お隣のお姉さんあの時はすみませんでした。

 

夢みたいだった。夢だったのかも。夢だったのかな。夢だったとしてもいいや。おめえだよて怒鳴られて、とりあえず埋めようて言われて、死ぬのかいて聞かれて、花を飾ってくれよて言われて、いつでも大見栄きってかっこよくいたいと思ってくれるあなたのmy little girlになって、あらゆるこの世の悲しみを一緒にのりこえて、明日もがんばって愛する人に捧げて、おまえはただいま幸せかいと抉られて。ダメだねもう。思い出すだけで感情の蛇口は壊れて情緒が爆発する。コントロールできない。

 

励まされたとか勇気付けられたとか背中押してもらったとか、そんな言葉で表せるならきっとこんなに溺れなかった。白も黒も嘘も真も清濁すべて併せ呑んで、それでもこの世で生きていきたいと思わせてくれる音楽に出会えるなんて、わたしの人生にそんな筋書きが用意されてたなんて、諦めずに生きてきてよかったと心の底から思う。

折しもコロナ禍。大切にしたいものがいくつもあるのが人生なのに、大切を天秤にかけることを強制され、選択を迫られ続けてきた。誰が悪いわけでもない毎日に誰を責めることも出来ず、やるせない想いばかりが積もっていった。何枚の舞台のチケットをお嫁に出したことだろう。お嫁に出すことすら叶わず払い戻されたチケットは何枚だったろうか。乗るはずだった飛行機、泊まるはずだったホテル、着ていくはずだったワンピース、マスクで隠した唇にのせるはずだった新色の赤リップ。悲しみの果てに送る素晴らしい日々を心に信じて、折れそうな自分を何度も奮い立たせてきた。表面張力ギリギリのところで踏ん張るわたしを支えてくれたのは高橋一生宮本浩次エレファントカシマシだった。巡り会えたこの奇跡ごと宝箱にそっと閉じ込めて、抱きしめて、愛してるぜとひとり呟く。

 

世界はいつだって最悪で最低で、それでも世界は美しい。同じこの世を生きられる奇跡に、いつだってわたしはしあわせすぎてのぼせそうだ。

歩くのはいいぜ

出かけよう 明日も あさっても

また出かけよう

 

エレファントカシマシ新春ライブ2022に寄せて。宝物、ってお習字の練習しなきゃ。

しあわせすぎてのぼせそうだった

『出会うべくして出会う』とか『人生にはタイミングがある』なんて言葉、ありきたりで、安っぽくて、好きじゃなかった。でも、きっとそういうのあるんだろうなって思う。

 

彼らは待っててくれた。やっと辿り着いたわたしをまるで試すかのように、篩にかけるように、これが俺達だ、どうだこれがエレファントカシマシだとその圧倒的な熱量を余すことなく全身全霊でぶつけてくれた。語彙力のなさ故こんな陳腐な言葉でしか表せないことが悔しい。

これは遠回りして、やっとエレファントカシマシに辿り着いたわたしの新春2022のお話。

 

長くなるので割愛するが、わたしとエレカシを繋いでくれたのは高橋一生さんだった。推しの推し。エレカシね、うん知ってる。食わず嫌いなとこもあるけどロックってあんまり得意じゃないんだよね。そんな印象だった。なんたる失礼か。非礼を詫びる気持ちでいっぱいですごめんなさい。

けれどそれからなんとなく宮本さんが出られているテレビを意識して見るようになり、その姿を見るにつけ、きっと真っ直ぐで素敵な人なんだろうなと思うようになった。そして転機は訪れる。ROMANCEだ。プレイヤーにのせて「あなた」を聴いたとき、知らず涙がこぼれた。2枚目に入ってた「翼をください」がお気に入りになって、通勤の車の中で永遠にリピートし続けた。

カバーじゃないのも聴いてみたくなって宮本独歩も買った。こんなふうな曲をつくる人だなんて知らなくて、もっと知りたくて、宮本さんが大切にしてるエレファントカシマシってどんななんだろうと思うようになった。知りたいな、と思った。聴いてみたくなって、でもアルバムいっぱいありすぎてわかんなくて、ドキドキしながらとりあえずATBを選んだ。散りばめられたヒリヒリするような言葉たちはミーハーで生半可な態度を拒絶していて、向き合うのに真摯な態度を要された。けれど向き合いたくて負けないように頑張った。真っ直ぐに届けられる声はキラキラ輝いていて、力強く響く圧も、触れると壊れてしまいそうな宝物を優しく包み込むみたいなそれも、食わず嫌いで敬遠してたエレカシは思ってたのと全然違ってた。

沼の淵に立ちながらも何故か意固地に踏ん張り続けて1年が経った時、Amazon宮本浩次ニューアルバム縦横無尽の予約開始をお知らせしてきた。ほんの出来心で検索したあの日の自分を褒めたいと思う。BDのガーデンシアターの円盤のダイジェストを見て、縦横無尽版を予約する以外に選択肢はなかった。沼の淵で踏ん張り続けるのももう限界だった。

 

擦り切れるくらい毎晩毎晩円盤を観た。宮本さんはカッコよすぎて、爆音で再生できるようにちょっと張り込んでヘッドホンを買った。@作業場の円盤が入ったP.S.I love youも買って、観て、泣いた。リキッドルームの円盤が入った宮本独歩も買って、観て、泣いた。全然知らなかったJAPANとか音楽と人とかMUSICAとか、宮本浩次の名前が冠された重版出来のでっかい本とか、風に吹かれてっていう分厚いやつとか、俺たちの明日っていう上下巻仕様のやつとか。とにかく買い漁り、お写真に悲鳴を上げ、ひたすらにインタビューを読み耽った。

縦横無尽バンドのガストロンジャーもわたしには衝撃的にカッコよかったけれど、あなたのやさしさをオレは何に例えようもなんて素敵な曲なんだと感動したけれど、リキッドルームのは知らない歌がいっぱいで、たったひとりで涙を流しながら友達がいるのさを歌う宮本さんを見て、ソロのインタビューで何度も語られるエレファントカシマシへの想いに触れて、ATBじゃ全然足りなくなって、エレカシのアルバムや円盤を買いまくった。クレジットカードの請求は過去最高額を叩き出し、人生で初めてファンクラブというものに入会した。加速度的に溺れていくのを自覚しながら、しあわせすぎてのぼせそうだった。

 

そうしているうちに日本全国縦横無尽ツアーが始まり、抽選に間に合わなかった神戸や横浜の当日券に挑んでは清々しく敗れ、これから行けそうなところには全部申し込んだ。

特別抽選で神様に拾われて、そしてわたしは大阪城ホールへ詣でることとなるのだが、ここでわたしが語りたいのはあくまでもエレファントカシマシ新春ライブ2022なので、城ホールのことは一旦置いておく。あの日のことも宝物だよ。大事に大事に抱きしめてる。

 

30年を超える歴史を紡ぐエレカシはわたしには壮大すぎて、おいそれとこのアルバムが好きだとか、この曲が好きだとか、畏れ多すぎて口にするのも憚られた。ましてや2年越しの新春ライブに行きたいだなんて。わたしなんかに許されるのかと逡巡したけれど、けれどやっぱり諦め切れなかった。お前なんかに対峙する覚悟はあるのか、ある、わたしはエレファントカシマシと向き合いたいんだと自問自答を繰り返した。わたしは向き合いたい。浮わついた気持ちなんかじゃない、エレカシ宮本浩次に会いたいんだと誰にともなく心の中で何度も叫び、震える手でPAO先行に申し込み、震える手で抽選結果を確認し、ご用意のお知らせに全身を震わせた。

急変する感染状況にリセールの文字が頭をよぎらない訳もなかった。ぐずぐず悩んでいる間にオミクロン株は爆発して、けれど手離す勇気もなく、リセールの機会も逃し、自分の欲深さに吐き気がした。辛かった。こんな思い何度目だよと神様に悪態をつきながらも、悩めるだけしあわせなんだと言い聞かせる。会いたい人に会えるなら魂だって売り払ってやると心に決めて飛行機に乗るのは本当にこれで最後にしたい。

 

 

ずいぶん長くなってしまった。

一部終了です。続きます。また書きます。

フェイクスピア

いつぶりかしら、あんなにも泣いたのは。

 

無念の2/27から気付けばもう1年と4ヶ月ちょいですか。春を待つうちに夏も過ぎ、いつしか空は高くなり、また冬が来て、桜を愛でた記憶もないまま梅雨を迎え。

一体何枚のチケットをお嫁に出したことでしょう。誰かにお譲りすることも叶わず払い戻されたあの朗読劇は最前どセンでしたね。

傷が癒えてない訳じゃなかった。と思う。もしかしたらまだ全然かさぶたにもなってなくて未練ダラダラと血が出てたのかも知れないけれど。それでも流れる血に気付かない振りが出来るくらいには時間が経っていたし、我慢とか諦めとかそういうのも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ得意になった。

淡い期待に胸膨らませ抽選に申し込み、ドキドキしながら結果を待つ時間が好きだ。発券して席を確認して、座席表と照らし合わせて。けれどやっぱり行けそうになくて、いつしか発券したチケットのコピーだけが手元に残るようになり、本物が無事に誰かの元に届いたのを確認するまでが一連の流れに変わっていった。

 

大阪は、わたしの住む田舎からは高速バスで2時間半。リセールに出せるギリギリまで粘って、悩みに悩んで悩み抜いて「行っても後悔、行かずとも後悔。ならば行くのみ!!!もしコロナなっちゃったらそん時はごめんね家族!!!」と半ば強制的に自分を納得させて今回の大阪初日参戦を決めた。無理を通してでもどうしても行きたかった。ロマドのでっかいトートバッグに三世次をぶら下げて行くのは発表された時から決めていたことだった。

大阪は、特別な場所だった。

 

新歌舞伎座に着くまではなかなか実感も湧かず、日生劇場へ向かう道中のほうが何倍も緊張してた気がして、どこか盛り上がりに欠ける自分に幻滅しかけてた。危険を冒して、反対を振り切ってここまで来たのに楽しめないなんて、と。何もかも嫌になりそうだった。

けれど、入口に堂々と掲げられたポスターの破壊力はわたしの想像をはるかに超えるもので、油断していたせいもあり、危うく幕が開く前から号泣する不審者になるところだったし、席に着いてからもパンフレットとチラシを愛おしげに見つめながら撫でてしまい再びの不審者だった。でも、そんな自分が嬉しかった。

 

【以下、ネタバレを含みます】

 

フェイクとリアル、フィクションとノンフィクション。その境界線はわたしの中では意外とハッキリしていなくて、考えているうちに禅問答みたくなってしまう。

死者を死者たらしめるのは生きている人間だと思う。もちろん生物学的な死はあるけれど、わたしたちはいつでもまぶたの裏に愛しい人を呼び出すことが出来るし、夢というよく分からない場所でなら会うことだって出来る。でももうその人は死んじゃってるから、あくまでそれは本物のその人じゃないし、いや本物には違いないんだけど質量を持った肉体の存在が客観的に証明出来ない以上、もうなくなってると言わざるを得ないんだろうから、そこで誰にでも平等な境界線を引くために死んだって言うんだと思う。誰が最初に言い出したのか知らないけれど。その誰かが言い出さなくて、その後も誰も言い出さなかったら、これまで死んでいった人やこれから死んでいく人はどういう立ち位置になってたんだろう。

死者と生者を別つのはそうしないときっと何か不都合があって、生者がその不都合を乗り越えるスキルを持ち合わせてなかったから自分たちの力不足を補うために境界線を引いたのかな、なんて考えてみる。けれど境界線を引いたところでやっぱり不都合はたくさんあって、だから今度はその不都合たちに悲しいとか絶望とか淋しいとかそんなふうないろんな名前をつけたんだと思う。体が怠いときお医者さんに風邪だと言われたら納得するみたいに、人はあらゆる事象に名前をつけたがる生き物だと思う。境界線のあっちとこっち。三途の川は簡単には渡れないと自分の感情に名前をつけて納得させて、また会いたい気持ちに蓋をする。あの人はもう死んだのだと。人間を納得を伴いたがる仕様にしたのは神様のほんの出来心かしら。それとも確信犯的な設計ミス?どちらにしてもこの仕様はややこしく、けれどそれが人間らしさだったりを表してるのかもね、なんて思ったり。

 

あの事故で発せられた言葉は現実であり、けれどお芝居はあくまで虚構であり。けれど劇場でのあの時間空間は現実であり、そこで発せられた言葉もまた虚構でありながら現実でもある。フェイクはリアルを孕み、リアルもまたフェイクを孕んでいる。そんな矛盾(それを矛盾という言葉で表すことが正解かどうか分からないけれど)を抱えて生きていくわたしたちは、時にその境界線を曖昧にしながら、傷付いた心を癒したり、逆に誰かを傷付けたりしているのかも知れない。

今、深く傷付くための材料に溢れたこの世の中で、誰かの傷口から流れる血や、誰かの目からこぼれる涙をそっと拭ってくれる【もの】は幾つくらいあるのだろう。それは人それぞれ違う【もの】だろうけれど、そんな【もの】のひとつにフェイクスピアが届けてくれた【mono】が仲間入りしたことを、わたしはとても嬉しく、また誇りに思う。

 

お芝居が幕を閉じたあの瞬間、これまで流し続けてきた血や、癒えてなお残る傷痕や、溢すまいと飲み込んできた涙を、一生さんのmonoがそっと抱きしめてくれた。頭を上げろと。がんばれと。生きていて良かったと、大袈裟ではなく本当に心の底から思った。叶わなかった天保の無念をほんの少し供養できたような気もした。鳴り止まない拍手とスタオベの中、何度もカーテンコールに応えてくれる一生さんを見ながら、こうして大阪初日を迎えられ、フェイクではなくそのリアルを共有できた奇跡に、わたしはこの世の至上の美しさを垣間見た。

 

思い出すだけでまた号泣しちゃいそうだから、美しすぎたお姿と、ほんの一瞬覗いたお脛のお毛をまぶたの裏に呼び出して、これにておしまい。

ありがとう一生さん。

ありがとうフェイクスピア。

スパイの妻

観てきました。

ベネチア国際映画祭銀獅子賞受賞『スパイの妻』を観てきました。

 

公開初日、封切り日に観に行くだなんて人生初かも(いや、コロナ禍とはいえわたし今無職ですからw 何の制限もありませんからそりゃ当然ですよねwww)

何の悪戯か超人気コンテンツと同日公開。ごった返す田舎のシネコンへ渋滞をかいくぐり車を走らせ。どこにこんだけ人おったんや的な芋洗いの中、マスク人間だらけの中。ソーシャルなディスタンスをキープしつつ長蛇の列に並び。優作さんに会ってきました。公開されて本当に良かった。思えば映画館に来るのとかいつぶり?映画を映画館で観ることのできるしあわせ。真っ赤に染まった予約サイトの空席僅かな座席表。この世には当たり前なんて何一つないのですね。感慨もひとしおです。

 

感想を、まとめたいのですが。

あんなお芝居を目の当たりにしてわたしに言えることなんて何もなくて。

ただ思うのは、人を愛したいということ。

 

※以下、ネタバレあり

 

わたしは高橋一生さんがとても好きで、彼のお芝居を本当に素晴らしいと思っていて、お顔もお声も立ち居振舞いもいろんなインタビューでの受け答えもとにかく全てがとても好きで、でもそんな中でもいちばん好きな彼のお芝居があって。

 

それが彼の『え?』ていう一言。

 

お顔が映るときもあれば後ろ姿のときも。そもそも映ってないときも。何気ない一言、聞き逃してしまうとか、気にも留めないとか、そんなものなのかも知れない。けれどいつからか、わたしは一生さんの『え?』を聞くたびに「ハアァァァァァァァァァ無理無理無理無理なんなのこの人こんなのありかよォォォォォォ!!!!!!!!!!」てなってました(語彙力)。

 

優作さんも『え?』て言ってた。

『え?』とか、そういうの、きっと気付かないうちにわたしも言ってて、わたしを取り巻くわたし以外も言ってて、本当に日常の中のなんでもない一言で。けれど、映画とかドラマとか、お芝居の中でのそれってなかなかなんでもなくはならなくて。『え?』て言ったな、みたいな?存在感?て言うの?でも一生さんは違くて、なのに「うわ、え?て言った(ゾワゾワゾワゾワ…!!!)」みたいな。

 

一生さんのお芝居は相も変わらず素晴らしく。蒼井優ちゃんも然り。監督はじめ関わられた全ての方々のお仕事もまた。プロフェッショナルというものをまざまざと見せつけられ、わたしも新たなお仕事が決まった暁には一生懸命努めようと誓いを立て。

 

お芝居の素晴らしさは毎回のことなので、今回もそれについて述べるつもりはありません。我が推し高橋一生は凄かった。蒼井優ちゃんも。そして黒沢監督も。銀獅子賞本当におめでとうございます。

 

戦争のお話って、あんまり得意じゃなくて。

今一つ実感も持てないし、ただただ戦争は嫌だし、でもどこかで戦争なんて起こるはずないし、みたく高を括ってる自分もいて。

わたしは激情型の人間なので、映画やドラマや小説では大体何の苦もなく主人公もしくはその周辺のどなたかに没入できるタイプで、己の感情をどっぷりと移入させて物語の世界観の中でたゆたうタイプなのですが、戦争のお話ってどうもそう上手くいかなくて。

 

優作さんが愛しくて堪らない聡子と、聡子を大切に想うが故に策略を巡らす優作さんを観て、わたしが最初に感じたのは「わたしはこんなふうに人を愛することが出来るだろうか」でした。

きっと今のわたしには出来ない。そんなふうに愛せる人もいないし、たとえいたとしてもあんな箱に閉じ込められて『Youトイレはこのバケツでよろしく』なんて言われてもきっと「おいおい優作さんお話が違うじゃありませんか」てなっちゃう。だって無理。

 

だから、聡子が怖ーい東出くんに捕まって、なんかわかんない偉い人いっぱい出てきて、さぁ皆でフィルムを見ましょう!なシーンであの映像が流れて、わたしの涙腺は決壊しました。

 

好きだから側に居たい。

好きだから、その人の役に立ちたい。

好きだから、危ないことはしないで欲しい。

好きだから、夢を応援したい。

好きだから、信じたい。

好きだから、守りたい。

好きだから、同じ未来を見つめてたい。

好きだから。側に居たい。好きだから離れたくない。好きだから、好きだからーーー。

 

好きだから。

もしもわたしが聡子なら。もしもわたしが優作さんなら。

きっとどちらだとしても、わたしには無理だ。

離れることは怖い。自分を大切に想ってのその行動だとしても、どうしてわたしにも手伝わせてくれなかったの、どうしてひとりで行ってしまったの、どうしてわたしを置いていったの、あなたと一緒ならどんなことでもやってみせられたのに、わたしを大切に想うがゆえのことなのですね、けれどもどうして…きっとそう思わずにはいられない。

自分を愛し、ただ真っ直ぐにどんなことでもやってのけてみせるという気概の相手に、君がいなくとも僕が必ずやり遂げてみせる、だから君が危険に身を晒す必要なんてないんだと、わたしは言えるだろうかいいやきっと無理だ。

 

戦争を知らずに生まれたわたしには、どうすることもできない世の中のうねりに身を任すとか、抗うとか、そういうの、想像することさえ難しくて。そんな中で、人を愛する気持ちとか、そういうの、切ないていうか、もう、どうすればいいのよってなって今もまた泣けてきて。

 

優作さんや聡子のように、人を愛したいと思う。

愛するってなんなの、て思わないでもないわたしが言うことじゃないけれど、わたしも聡子になりたいし、優作さんになりたい。

あんなふうに互いを想い合えるとしたら。けれどもやっぱりわたしは優作さんと離れたくないし、どれだけ説得してもらおうとも駄々を捏ねてしまう気もする。二手に別れましょうなんてきっと言えない。

 

愛するとは。大切に想うとは。

それが戦火の元であろうともなかろうとも。

 

叶うなら、そんな相手に巡りあってみたいもので。

けれど、叶わずともそれもまた然りとも感じざるを得ず。

 

夫婦の互いを想う愛に、憧れと羨望と。

けれど戦争とか、そういうのは絶対やだなって思ったり。

 

アメリカで、聡子と優作さんが巡り会えてたらいいなって思う。けれどわたしが聡子なら、何の手掛かりもなくアメリカに渡れただろうか。もしかしたら躊躇してしまったかもね。やっぱりわたしは聡子にはなれないのかな。愛するってこと、わかってたふうで実は何にもわかってないままなのかもね。

 

聡子も、優作さんも、すごい。

そんなふうにわたしも人を愛したい。

願わくは、戦争のない世界で。

 

福原夫妻のしあわせを願って。2020年、秋。

たとえば、推しがいるということ

激動の2020年ももう9月を折り返そうとして。時の流れとはこんなにも激流だったろうか。

春はどこいった?夏はいつ終わったの?

或いはわたしのカレンダーは、まだ2月27日のままだったりするのかしら。

 

2月27日がこんなにも意味を持つ日になるなんて、あの時誰が予想できただろう。

 

2月26日、天保十二年のシェイクスピアの2回目の観劇のため、わたしは東京を訪れていました。

緊張と興奮で吐きそうになりながら開場を待ち。あふれる涙を堪え切れずに拍手を送り。泣き止めぬまま日生劇場の赤い絨毯のロビーを視界の端で滲ませながらアンケートを書いたあの時のことを、今でもまるで昨日のことのように思い出せます。

 

そして27日、図らずも千秋楽となってしまったあの日。

羽田空港の喫茶店で、モーニングを食べてたあの日の朝。供給されたばかりの春ドラマのティザー映像とインタビューを見ながら、緩む顔を隠しきれずに飲んだコーヒーが美味しくて。本当はもっとゆっくりしたかったのに、仕事休めなくて(クソがっ)

飛行機乗って帰って来て、お出掛け用のお洋服から仕事用の普段着に着替えたり、荷物をほどいたりしてた時に、天保は今日で最後になってしまったことを知りました。

 

昨日、劇場のあのボックスに、こんな状況下でも舞台を届けてくださることに本当に感謝していますって、どうか最後まで無事に駆け抜けられますようにって書いたお手紙を入れたばっかりだったのに。あとちょっとで東京千秋楽だったのに。これから大阪だってあったのに。大阪初日と千秋楽のチケットだって取れてたのに。泊まるホテルだって予約してたのに。もっともっとお芝居みせてもらいたかったのに。こんなに大好きになれた舞台だったのに。どうして、どうして今なの。なんでこのタイミングなの。コロナウイルスってなんなの。どうして、どうして―――。

やり場のない思いでいっぱいでした。こんな簡単な言葉で言い表せてしまうのかと思うくらい、やり場のない思いだらけの毎日でした。

 

そんな中、4月から放送予定だったドラマも延期となり。朗読劇も中止となり。誰を責めることも出来ず。

なんとか自分を励まして、奮い立たせて。表面張力でなんとかギリギリを保ってる涙腺はふとしたきっかけですぐに決壊して、その度に、あぁやっぱりわたしは辛いんだ、今結構ギリギリなんだと思い知らされ。

 

もうこのままドラマも撮影できなくて、放送できないままになっちゃうのかも。お蔵入りとか辛すぎる。なんとかして届けてもらいたい。でも危険な状況下で無理に撮影とかして推しがコロナになっちゃうとかそれだけは絶対にやだ。あぁもうコロナめ(クソがっ)

撮影が再開されても不安は拭えず、どうか安全でいてほしいと祈るばかりでした。本当にただ祈ることしかできず、太古の昔、人類が宗教を生み出したその理由さえ分かった気がしました。

 

そんな未曾有の災害に見舞われながらも、わたしが知り得ないたくさんの方達の、想像さえ出来ない、努力なんていう簡単な言葉じゃ決して言い表せないほどの尽力のおかげで放送が始まったであろうドラマが、今夜最終回を迎えます。2月27日の朝、羽田空港でモーニングを食べながらティザー映像を見たあのドラマです。

もう半年以上も経ってたんだね。まるで昨日のことのように思い出せるのに。カレンダーをめくってきた記憶も曖昧で、なのにもうおしまいだなんて。

たかがドラマの最終回で何をそんな大袈裟な、そんなセンチメンタルになることもなかろうに、そうも思うけれど。けれど今回はやっぱりちょっと特別すぎる。

 

推しなんていなければ、壊れそうなくらいに悲しくて、やるせなくて、決壊ギリギリのところでなんとか踏ん張ってたあんな日々を過ごすこともなかったんだろう。コロナのせいで変わってしまった世界さえ、どうとも思わなかったかもしれない。

けれど、舞台やドラマがあったから、推しがいてくれたから、こんなにも嬉しくて、ドキドキして、さみしくて、今この瞬間がありがたくて、わたしの世界は色を持って。世界はこんなにも美しくて。

 

大切なものなんて人それぞれ。大切に思うのに誰の許しも必要ないし、その人の世界はその人のものでしかない。

けれど、たとえば推しがいるということ。それだけで、わたしの世界はこんなにも。

そんなふうに、ちょっと自慢したくなっただけのお話でした。推しは尊い

 

ドラマ最終回、どうか双子に救いがありますように🐉🐉

三世次

シェイクスピアなんてわたしには高尚すぎて、と思っていた。

ましてや、観劇なんて。

 

行って来ました。日生劇場

そうです。天保十二年のシェイクスピアです。

 

いつだってそうだ。いつだって、手を引かれ、背中を押され、そういうハードルを易々と越えさせてもらってきた。その度に、好きは加速する。当然だ。

ねぇ世界、わたしの推し、最高でしょ?高橋一生さん最高でしょ(ドヤァ)

知らなかった場所へ連れて行ってくれてありがとう。見たことのない景色を見せてくれてありがとう。あなたのおかげでわたしの世界は今日もこんなにも美しく。

さて。

三世次さん、お初に御目にかかります。

わたしは、あなたを、抱きしめたい。

あなたをとても愛おしく思っています。

 

すこしだけ、普段よりも過敏になっていたんだと思う。気持ちを落ち着けたくて、歩いて行きました。ホテルから約20分。

今日のためにお迎えしたお洋服に身を包んで。いちばんのお気に入りのリップを唇にのせて。次第に夕暮れてゆく東京の景色を眺めて歩きながら、日生劇場に着いたとき。何度も何度も写真に見ていたそれが、目の前に現れたとき。もうそれだけで泣きそうになりました。と同時に、とてつもない緊張で吐きそうにも。

あぁ、もうすぐ、一生さんのお芝居を。ていうかおそらく今この同じ建物の中に、ひとつ屋根の下に、一生さんが。いっせいさんが!!!いっ、せ、い、さ、ん、が!!!!ハアァァァ無理泣く吐くムリムリムリ!!!さよなら今生。あ、プログラム売ってるわ。買わなきゃ。え、1冊でいいのかしら?

 

そんな錯乱とともに始まったわたしの人生初の観劇。それがこの舞台だったことをわたしは死ぬまで忘れません。否、死んでも忘れません。絶対に忘れません。

天保十二年のシェイクスピア、最高でした(語彙力)

 

幕が開き、一気にその世界に引き込まれる。あんなにも空気が一瞬で変わるのを肌で感じたことはありませんでした。楽しくてゾクゾクするのなんて初めての経験でした。

あぁ、舞台ってこういうことなんだ。お客さんがいて、俳優さんがいて、音楽があって。あぁ、今、同じ空気の中で、わたしもこの世界の一員になれてるんだ。なんて素敵。こんな機会を与えてくれてやっぱりわたしの推し最高。推しに巡り合えたこの奇跡に乾杯。

緊張と不安は霧散し、自然と頬も弛む。

 

そしてとうとうその時は訪れた。

 

息をのむとはまさにこのことだと思った。

込み上げる涙を必死に堪え、震える手で2階C列から双眼鏡を構える。

 

三世次。

 

 

高橋一生さんのお芝居やお歌がいかに素晴らしいものであったか、そんなことはもはや周知の事実であり、ここでわたしがどれほど筆舌を尽くそうとも伝え切れるものではなく。お芝居に触れた方達がそれぞれに感じられたことがすべてであり、とにかくわたしにとっては一生さんは最高が過ぎました。わかってはいたものの、やっぱり一生さんはとんでもなく素敵でした。冷静と情熱の間で「やっと会えたね」と叫びたくなるくらいには。

 

三世次は悪い奴だと聞いていて、確かになかなかに悪い奴でした。この世の醜悪をすべてその身に背負わされたような三世次。彼に人々は翻弄され、しかしそんな彼もまた、迎えるその最期は切なく哀しいもので。

わたしは演出とかそういうの詳しくないし、語ることもできませんが、三世次の哀しい最期とは対照的にラストはとても華やかで、そこにカーテンコールでの俳優さんや奏者さん達の楽しそうな姿も相まって、たくさんの人があっけなく無情に死んでゆくし、三世次も切ないし、悲しいお話だったけれど、でもとにかくよかったぜ!舞台ってすげぇな!と、なんとも満たされた気持ちで劇場を後にしました。

けれど、観終わってから2日(おい待てまだ2日しか経ってないのか)ふとした時に思い出すのは、満たされたしあわせな気持ちではなく、哀しくて切ない生涯を生き抜いた三世次のことばかりです。

 

醜いと罵られ、己の姿を見てみよと、愛する女に突きつけられた鏡に映る自分の姿を見て、三世次はどんな気持ちだったのだろう。不自由な身体に生まれ、蔑まれ嘲られながら、孤独に、それでも、綺麗は汚い、汚いは綺麗と歌いながら生きてきた彼が遂にはお代官様にまで成り上がり、きらびやかな着物を纏い、ドレッドよろしく束ねていた髪もサラツヤロングヘアーになって。あぁ三世次、立派になったね、なんて思った。どことなく誇らしい気持ちになったりもした。

彼はきっと彼なりに、もちろん彼は悪いし、たくさんの人が死んだわけだし、決して褒められたものではないけれども、自分の信じる何かに向けて突き進んだのだろう。お金も地位も手に入れて、けれど惚れた女を抱くことも叶わず、果てにはその女さえ自分の目の前で死んでゆく。

なぜ三世次ばかりがこんな目に。どうして彼は救われないの?悪者だから?可哀想すぎる。三世次だって志願して悪者に生まれてきたわけでもなかろうに。彼にだって光の下を歩む人生が用意されてもよかったはずだ。混沌とした時代では、穏やかなしあわせなど望むほうが愚かだったのだろうか。

 

あんなふうにしか生きられなかった三世次を哀れに思うと同時にまた、しかしそれは三世次が自ら選んだ道だったのだろうとも思う。『三世次は死にたがっている』と言っていた一生さんの言葉の意味がわかったような気がした。あんなにもすべてに渇望して見える三世次が、本当は死にたがっていたなんて、生きるとはなんて残酷であることか。

生きることの残酷さは先日とある映画、あ、ロマンスドールっていうんですけど、高橋一生さんが主演なんですけど、すごく素敵な映画なんですけど、それを観たときにも感じたことだったので、わたしには結構ヒリヒリしたし、今もずっとそう。

 

百姓は皆気が立っているからと騒ぎ立てられる中、こっちだって勃ってんだよと叫ぶ三世次に「ねぇ三世次、あなたの勃ってるソレはこのわたしが謹んでお引き受け致します故、どうか思う存分ゴシゴシして…!!!」などと思ったのはきっとわたしだけではあるまい。(あれ?この流れでこの文章、必要だった?でもどうしても言いたかったの許して)

色気にあてられていたことは否めないし、わたしにはややイセファナティックな傾向があることも否めないけれども、それを差し引いても、三世次は愛される悪者だったのではないかと思う。ダークヒーローと評されていた記事を読んだけれども、そんなふうに思わせるのは脚本の、演出の、お芝居の妙だろうか。やっぱり一生さんってすごい。

 

 

そうして三世次はわたしの中でとても愛おしい存在になった。

彼のことを思い出す度に、お代官様になる前の、汚いボロボロの三世次を抱きしめたくなる。汚いは綺麗、あなたは誰よりも純粋で、あなたもそれをわかってるはずよ、と。たとえ蔑まれ罵られ嘲られたとしても、わたしはあなたを愛しているわ、と。

汚れたその頬に手を添えて、そっと唇を重ねる夢を見るくらいは、許してもらえるかしら。それより先だって、わたしは吝かではないのよ。

 

瞼の裏に居る愛しい彼を想いながら、わたしはわたしの人生を、もうすこし、生き抜いてみようと思います。