縦横無尽0408高知

いくら旅日記で元気だと言われても、参戦された方々のレポに並ぶ最高の文字を眺めても、それでも拭い切れない不安はつきまとっていた。

元気になったの?本当に元気?もう大丈夫?本当はしんどいんじゃないの?無理してない?大丈夫?もう元気なったの?ねぇ大丈夫?治ったの?心配だよ。でもそもそも相手はプロだし、わたしなんかが心配するに及ばないどころか心配するなんて失礼にあたる訳で。何より本人がもう元気や言うてんねん信じろや自分。そうよあなたのやりたいことを全部あなたのやりたいように、それがわたしのしあわせだから。みたいな毎日を過ごしながら、若干の情緒不安定と共に迎えた宮本浩次日本全国縦横無尽高知。

 

最高だった。

 

宮本さんの体調不良の発表があってから昨日まで、わたしは人生できっと2番目に情緒崩壊の日々の中にいた。適応障害になって過呼吸と涙がとまらなくなって毎日吐いて、大好きだった仕事に行けなくなって不安がなくなるとかいう薬を処方されて、退職の手続きのために職場までの旧居留地の道を涙ぼろぼろこぼしながら歩いたあの頃を彷彿とさせるような不安定ぶりだった。

気を張ってないとふと緩んだ瞬間に涙が溢れて、いつの間に宮本さんのことがこんなに大切で大切で大切になってたんだと自分でも信じられなかった。大好きな高橋一生さんの供給さえも見られなくなったときにはさすがにちょっとヤバいんじゃね? てなって、でもだからと言って解決策を持ち合わせている訳もなく。ツアーが再開され公演延期の日程も発表され持ち直すも、元気になったというお知らせを信じたい自分と不安を拭えない自分の板挟みになって自滅しそうで、とりあえず壊れないように騙し騙し日を繰るのみだった。

 

それでも岡山以来の遠征に気持ちは高揚し、緑の混ざる桜に背中を押されるように白いシャツワンピを新調したり、いつもよりも丁寧にのせるマスカラやリップにときめいたりした。可愛いぜわたし(当社比)。いつものとおりとんでもない緊張で吐きそうになりながら列に並び、トイレを済ませ席に着き、双眼鏡のピントを合わせようとするも震える手では上手くいかず、とりあえずスマホ見て「あ、旅日記あげてくれてるやったぁ。でもちょっと今見られないわ余裕ないわ吐きそうだしとりあえずあとでね」「おぉ高橋さんも盛り上がってるね」などと心此処に在らずでTwitterを流し、これまでもわたしの爆発する感情を受け止めてきてくれたお気に入りのタオル地のハンカチを握りしめ、祈るような気持ちで18時30分を待った。いや、実際祈っていた。何を祈ってたのかもわからないけれど。

 

そしてついに始まった高知。たぶん肩も震えてたかも。号泣してしまった。宮本さん、あぁ宮本さん宮本さん。心配したよ、よかったね、よかったねよかったねもう大丈夫なんだよねそう言ってたもんね信じてたけど信じられなくてごめんね、元気になったのね、もう元気なのねよかったね本当によかったね心配だったんだよわたしなんかが心配(以下略)

知らないアレンジにわたしのドーパミンの蛇口は壊れ、どんどん艶を帯びてゆくステージに恍惚とした。大好きな声に抱かれてずっと彼岸だった。弾けるように歌を届けてくれる宮本さんをはじめ、壮々たる男前五人衆がみんな楽しそうで、みんな演奏しながら宮本さんを見てて、ときどき笑ったり、眉を寄せてすっごいカッコいい顔ですっごいカッコいいフレーズぶっ込んできたり、宮本さんもみんなを信頼して委ねてでも引っ張ってて、あぁアンサンブルだなぁって、五人で宮本浩次縦横無尽バンドなんだなぁって思ってまた号泣した。

 

宮本さん元気になってた。みんなが言ってたの本当だった。もう新型コロナ風邪なおってた。元気だった。最高だった。いつだって最高よ。人生なんてわからない。この瞬間突然終わりが来るかも知れないし、当たり前なんて何ひとつない。解っていても人は愚かで、失くしてしまう不安に向き合いながら生きる強さを持ち合わせない。当たり前の上に胡座をかいて、あわせた手のひらとその指の隙間から、ざらざらと大切な日常をこぼし続けながら生きている。人は死ぬ。宮本さんだってわたしだって。鋭利な純粋と刹那の美しさに包まれた、神様に愛され過ぎたロック歌手と、こうして時を同じく生きられる奇跡を抱きしめずにはいられない。あなたに辿り着けた自分も、わたしに辿り着いてくれたあなたも、わたしの宝箱を彩る大切な宝物だ。そんなわたしを包んでくれる儚くもやさしいこの世界をわたしは今日も愛してる。

 

だいすきだよ。元気になってくれてありがとう。ずっとずっと元気でいてね。ほんでまたわたしのこと30回くらい見て指差してね。もしもわたしが生まれ変わって鰹のタタキになっても美味しいって言って食べてね(狂気)

ツアーも残りあとすこし。どうか最後まで。思いのままに駆け抜けられますように。