スパイの妻

観てきました。

ベネチア国際映画祭銀獅子賞受賞『スパイの妻』を観てきました。

 

公開初日、封切り日に観に行くだなんて人生初かも(いや、コロナ禍とはいえわたし今無職ですからw 何の制限もありませんからそりゃ当然ですよねwww)

何の悪戯か超人気コンテンツと同日公開。ごった返す田舎のシネコンへ渋滞をかいくぐり車を走らせ。どこにこんだけ人おったんや的な芋洗いの中、マスク人間だらけの中。ソーシャルなディスタンスをキープしつつ長蛇の列に並び。優作さんに会ってきました。公開されて本当に良かった。思えば映画館に来るのとかいつぶり?映画を映画館で観ることのできるしあわせ。真っ赤に染まった予約サイトの空席僅かな座席表。この世には当たり前なんて何一つないのですね。感慨もひとしおです。

 

感想を、まとめたいのですが。

あんなお芝居を目の当たりにしてわたしに言えることなんて何もなくて。

ただ思うのは、人を愛したいということ。

 

※以下、ネタバレあり

 

わたしは高橋一生さんがとても好きで、彼のお芝居を本当に素晴らしいと思っていて、お顔もお声も立ち居振舞いもいろんなインタビューでの受け答えもとにかく全てがとても好きで、でもそんな中でもいちばん好きな彼のお芝居があって。

 

それが彼の『え?』ていう一言。

 

お顔が映るときもあれば後ろ姿のときも。そもそも映ってないときも。何気ない一言、聞き逃してしまうとか、気にも留めないとか、そんなものなのかも知れない。けれどいつからか、わたしは一生さんの『え?』を聞くたびに「ハアァァァァァァァァァ無理無理無理無理なんなのこの人こんなのありかよォォォォォォ!!!!!!!!!!」てなってました(語彙力)。

 

優作さんも『え?』て言ってた。

『え?』とか、そういうの、きっと気付かないうちにわたしも言ってて、わたしを取り巻くわたし以外も言ってて、本当に日常の中のなんでもない一言で。けれど、映画とかドラマとか、お芝居の中でのそれってなかなかなんでもなくはならなくて。『え?』て言ったな、みたいな?存在感?て言うの?でも一生さんは違くて、なのに「うわ、え?て言った(ゾワゾワゾワゾワ…!!!)」みたいな。

 

一生さんのお芝居は相も変わらず素晴らしく。蒼井優ちゃんも然り。監督はじめ関わられた全ての方々のお仕事もまた。プロフェッショナルというものをまざまざと見せつけられ、わたしも新たなお仕事が決まった暁には一生懸命努めようと誓いを立て。

 

お芝居の素晴らしさは毎回のことなので、今回もそれについて述べるつもりはありません。我が推し高橋一生は凄かった。蒼井優ちゃんも。そして黒沢監督も。銀獅子賞本当におめでとうございます。

 

戦争のお話って、あんまり得意じゃなくて。

今一つ実感も持てないし、ただただ戦争は嫌だし、でもどこかで戦争なんて起こるはずないし、みたく高を括ってる自分もいて。

わたしは激情型の人間なので、映画やドラマや小説では大体何の苦もなく主人公もしくはその周辺のどなたかに没入できるタイプで、己の感情をどっぷりと移入させて物語の世界観の中でたゆたうタイプなのですが、戦争のお話ってどうもそう上手くいかなくて。

 

優作さんが愛しくて堪らない聡子と、聡子を大切に想うが故に策略を巡らす優作さんを観て、わたしが最初に感じたのは「わたしはこんなふうに人を愛することが出来るだろうか」でした。

きっと今のわたしには出来ない。そんなふうに愛せる人もいないし、たとえいたとしてもあんな箱に閉じ込められて『Youトイレはこのバケツでよろしく』なんて言われてもきっと「おいおい優作さんお話が違うじゃありませんか」てなっちゃう。だって無理。

 

だから、聡子が怖ーい東出くんに捕まって、なんかわかんない偉い人いっぱい出てきて、さぁ皆でフィルムを見ましょう!なシーンであの映像が流れて、わたしの涙腺は決壊しました。

 

好きだから側に居たい。

好きだから、その人の役に立ちたい。

好きだから、危ないことはしないで欲しい。

好きだから、夢を応援したい。

好きだから、信じたい。

好きだから、守りたい。

好きだから、同じ未来を見つめてたい。

好きだから。側に居たい。好きだから離れたくない。好きだから、好きだからーーー。

 

好きだから。

もしもわたしが聡子なら。もしもわたしが優作さんなら。

きっとどちらだとしても、わたしには無理だ。

離れることは怖い。自分を大切に想ってのその行動だとしても、どうしてわたしにも手伝わせてくれなかったの、どうしてひとりで行ってしまったの、どうしてわたしを置いていったの、あなたと一緒ならどんなことでもやってみせられたのに、わたしを大切に想うがゆえのことなのですね、けれどもどうして…きっとそう思わずにはいられない。

自分を愛し、ただ真っ直ぐにどんなことでもやってのけてみせるという気概の相手に、君がいなくとも僕が必ずやり遂げてみせる、だから君が危険に身を晒す必要なんてないんだと、わたしは言えるだろうかいいやきっと無理だ。

 

戦争を知らずに生まれたわたしには、どうすることもできない世の中のうねりに身を任すとか、抗うとか、そういうの、想像することさえ難しくて。そんな中で、人を愛する気持ちとか、そういうの、切ないていうか、もう、どうすればいいのよってなって今もまた泣けてきて。

 

優作さんや聡子のように、人を愛したいと思う。

愛するってなんなの、て思わないでもないわたしが言うことじゃないけれど、わたしも聡子になりたいし、優作さんになりたい。

あんなふうに互いを想い合えるとしたら。けれどもやっぱりわたしは優作さんと離れたくないし、どれだけ説得してもらおうとも駄々を捏ねてしまう気もする。二手に別れましょうなんてきっと言えない。

 

愛するとは。大切に想うとは。

それが戦火の元であろうともなかろうとも。

 

叶うなら、そんな相手に巡りあってみたいもので。

けれど、叶わずともそれもまた然りとも感じざるを得ず。

 

夫婦の互いを想う愛に、憧れと羨望と。

けれど戦争とか、そういうのは絶対やだなって思ったり。

 

アメリカで、聡子と優作さんが巡り会えてたらいいなって思う。けれどわたしが聡子なら、何の手掛かりもなくアメリカに渡れただろうか。もしかしたら躊躇してしまったかもね。やっぱりわたしは聡子にはなれないのかな。愛するってこと、わかってたふうで実は何にもわかってないままなのかもね。

 

聡子も、優作さんも、すごい。

そんなふうにわたしも人を愛したい。

願わくは、戦争のない世界で。

 

福原夫妻のしあわせを願って。2020年、秋。